さらば 友よ
汝の安らぐ魂は静まり、
瞳は かの国を見つめる。
汝に捧げん
我が力を。
さらば 旧知の同胞よ
我が手を伸ばし 掴まん
神性を求め。
汝に捧げん
我が力を。
さらば 友よ
汝の王国の み前で
我らはひとつに。
汝に捧げん
我が生涯を。
【Goodbye Old Friend (さらば友よ)】
Godzilla: King of the Monstersより個人訳
単に怪獣バトルでの王としてでなく、
せびれのみで威厳漂う王の存在を示した
ゴジラ作品が他にあっただろうかと。
「Goodbye Old Friend」は映画の中で
心の内に響き、思いを溢れさせる曲であり、ロンドンの聖歌隊を最も際立たせているものです。
私たちの愛する登場人物の一人が高貴な犠牲を払う物語の状況を考え、
この場面には独特の詩編が必要でした。
私はこのシーンの詩を作詞し、
ワーシントン博士がバビロニア語に翻訳してくださいました。
ここで私がめざしたのは、
古代の失われた世界から祈りを呼び起こし、悲劇的・感情的な喪失を強調し、
最初の神への高貴な犠牲を称えることでした。
映画での、このシーンの反論は
原爆を使うことを奨励しているという意見だと思いますが
それは映像のみから伝わる現象面を読み取っただけの印象で、
自分は個人的に
“なぜ使ったのか”
“使わねばならなかったのか?”
と云う風に捉えています。
ギドラによる人類が死滅するであろう
脅威を防ぐため、人の力ではどうにもならない、ゴジラに立ち上がってもらわねば
そして今
そのゴジラに立ち上がってもらうため
彼に与える事の出来るものは
核─はそれだけでは動かない
差し出す自分の一歩
その一歩は自らの命と共に
自分自身を与える─それは犠牲とも呼ばれる。
原爆で被爆した
父の苦しみの生涯を見続け、
同国の民、
他国の人びとの苦しみを知り、思う
Dr. 芹沢が、核を用いるという事─
そしてその為に
他の誰をも傷付けたくなかった事─
その思いは、形は違えどゴジラシリーズ第1作『ゴジラ』(1954)の芹沢大助博士と同じものだと思いました。
Dr. 芹沢の自らの命・思いを繋げんとするこの言葉少ないシーンは、
毎回観ても自分の心を打ちました。
そして、この旋律を耳にするだけで、
上に書いたような様々な気持ちがよぎります。